5月1日に春日学園少年野球クラブ初代監督の金子裕一さんが亡くなりました
ご病気をされていることはご本人から伺っていましたし、病気の性質上快復の見込みがないことはわかっていましたが、50歳という若さでの別れに悲しい、寂しい気持ちでいっぱいです
心よりお悔やみを申し上げます
2013年に代表が春日学園少年野球クラブを立ち上げた際、監督を引き受けてくださったのが金子監督でした
週末1/4ルール、投球数制限、大学コーチによる指導など斬新で画期的ながら当時の少年野球界では突拍子もないコンセプトで発足したチームを率いるのは本当に大変なことだったと思います
金子監督は常総学院野球部出身で社会人野球にも進まれた根っからの野球人でしたので、野球界の既存の「常識」を打ち壊して新しいやり方を作っていこうという組織の中では様々な葛藤があったと伺っています
そんな中でも、春日学園少年野球クラブ監督としての立場を受け入れつつ、それまで培ってきたつながりを活かしてクラブが地域の野球界に溶け込んでいけるよう尽力してくださいました
子供たちに対しては常に愛情をもって寄り添い、必要があれば厳しいことを言う場面もありましたが、結果が悪いからといって感情的に怒鳴るようなことはなく、励ましながら一歩一歩着実に成長させていきました
先日行われたマクドナルド杯予選で今年のチームは昨年に引き続き見事県大会出場権を獲得し、金子監督や私が監督の時代には届かなかった県大会に多くの大会で参加できるようになったのはもちろん現在のチームを率いる見延監督やスタッフの方々、そして何より選手たちの頑張りによるものですが、その礎を築いてくれたのが金子監督です
金子監督の功績は計り知れません
中学野球に進んだ息子さんの試合を観に行ってあげたい、といって監督を辞める決断をされた後、私が後任を務めることになりました
早々に野球からドロップアウトして県外出身でもあった私には金子監督のような経験やつながりもなかったため、退任された後もチームのことをよく気にかけてくださり、助けていただきました
チーム創成期に一緒に頑張ってきたコーチたちの中には、プロ野球のアナリストやコーチ、高校野球の監督など野球の指導者として素晴らしい仕事をしている方々が沢山います
もちろん、彼らがもともと優秀な人材で指導者としての素質を持っていたことは間違いありませんが、大学院生時代に指導者としての第一歩を当クラブで経験できたことも彼らにとっては大きな財産になっていると思います
コーチが主体的に指導できる環境を与えて、監督として一緒に責任を負うことができる懐の深い金子監督のもとであったからこそ、彼らも指導者として成長できた面もあったのではないでしょうか
金子監督の恩師であった故木内幸男監督が主催されていた大会で、始球式に木内門下生の大先輩である松沼博久さん(アニヤン)がいらしたことがありました
ちょうど我々の試合が開会式直後にあたり、アニヤンのアップの相手に指名された時の金子監督はまさに野球小僧そのもので、満面の笑顔でキャッチボールされていたのが今でも印象に残っています
野球を愛し、野球少年を愛し、仲間を愛し、そして何より家族を愛した素晴らしい方でした
最期はご自宅で、ご家族に囲まれて静かに迎えられたそうです
心よりご冥福をお祈りいたします
初めまして。金子裕一と検索したところこちらに繋がり、拝見させていただきました。
私は裕一の妹で、兄は小さい頃から妹の私にも優しく、とても慕っていました。
お互い子供が同じくらいでもあり、何かと実家で家族ぐるみで集まり楽しく過ごしておりました。ダジャレや、モノマネが得意⁈でいつも私たちを笑わせてくれていました。野球チームの子供たちの事も嬉しそうに話している姿を見て、素敵な経験をさせていただいているなぁと思っておりました。
これからという時に病気が見つかり、50歳という若さで亡くなってしまい、もっとたくさんやりたい事があったと悔やまれますが、たくさんの方がお別れに来てくださり、あんなにたくさんの方に見送られ、幸せな人生だったと感じております。このサイトのメッセージを拝見させていただき、改めて兄の偉大さを実感する事ができ涙が止まりませんでした。
本当に皆様にはお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。
春日学園少年野球クラブチームに益々の発展とご活躍を心より祈念いたします